色々考えちゃって頭がおかしくなりそうだ!
まぁ実際精神疾患あるんですけど。(メンヘラ的ジョーク)
(精神疾患ある=頭がおかしいとは言ってませんよ、言ってませんからね!)
色々考えることがあって頭が爆発しそうなので書き殴ります。
なかなか精神的に落ち着かない日々が続いていてパソコンの前にじっとしていられなかったりもしたので。
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先ほど、とあるブログを読みまして。
内容書いたら、かなり有名なブログのようですし、
なんだかそれでネット身バレしてここでつるし上げられるのも嫌なので
(そんなわけねーだろめっちゃ過疎ってるだろーがって自分でちゃんとつっこめるくらいには頭マトモですわかってますとも)
はっきりと内容には触れませんが、
まとめると不平等を作り出す学校教育はよくない、みたいな。
その方面で能力のある奴だけが伸びていくのはよくない、みたいな。
そのブログ書いている方、私より年上だと思うんですけど、
そういうのが当たり前、っていう学校教育受けなかったのかな?
得意不得意で差別(言い方悪いのは重々承知、敢えて、です)されるのが当たり前として教育されてたらそんな意見出ないような…。
むしろ同年代の方は、今の『誰でも一番!』『主人公はクラス全員!』みたいな風潮に一抹の不安を覚えているんじゃないかと思っていたんですけど。
運動できるやつは運動で目立てばいいし、
勉強できるやつは勉強で目立てばいい。
私は何にも出来なかったし、友達も殆どいなかったから
本が大好きになったし、表現したかったから絵や漫画を描いた。
得意分野でプロになれる人間なんて一握りだし
幼少期にそうやって目立っていた同級生もきっと普通に人生送っていると思うんだよなー
俺、昔は選手だったんだぜ!
私、学校で一番の成績だったんだー
って思いながら
クソッこんな社会ぶっ潰れろ…ああ毎日しんどいなぁでも頑張るんだ自分の人生。
って毎日過ごしてると思うんだ。
だから、別に不平等だったなんて思ってない。
私が学生の頃はもっとごりごりに各方面で『できる奴』をべた褒めしてたし、
『できない奴』は猛烈に非難を浴びた。もしくはとことん無視された。
『できる奴』は煽られて乗せられて有頂天になってその地位を守り抜くのに必死になったし、
『できない奴』は非難を浴びないように不得意分野を上手くやり過ごしながら、一体どの分野でなら自分は光り輝けるのかを見極め、自尊心を潰さないよう努力してた。
勿論、できる奴はいつもできる奴ではなかったし、
立場の逆転なんていつだってあり得た。
基本的には神は二物を与えないから。
私はどちらかというとできないばっかりの人間だったけど、
それでも自分の居場所、これだけは譲れないっていうものを探すのに躍起になった
(というより子供っておのずと見つけるんだよねそういうもの…)
から、あの時に『絵で表現する』っていう得意分野を見つけることができて本当に良かったと思う。
だから今、運動できなくても勉強できなくてもブスでデブでチビでメンヘラのセクマイでもそれなりに楽しく生きている。
と、いうか、そりゃ確かにいくつか前の記事にたくさん恨みつらみ妬み嫉み書いた通り、羨ましくないと言えば完全に嘘になっちゃいますけど
でも学校教育が悪くて不平等が生じたっていう考えには至らないなぁ。
寧ろ自分の絵の才能(と、こっぱずかしいですけど言わせて下さい)を見出して一瞬でも光を当ててくれたあの頃の学校教育はそういう意味で平等だったんじゃないかと思う。
あなたには絵があるよ。絵で輝くことができるよ。
って教えてくれたから、背中を押してくれたから
私は続けてこれた気がする。
絵を描いて、凄いね、上手いね、この絵大好き、有難う、って賞賛されたり喜んでもらえるの、嬉しかったもん。
勉強で一番になって褒められている人や、運動の選手になって優勝もぎ取って誇らしげにしている人たちと同じ土壌に立てた気がしたんだよね。
勿論仕事にできるほどのものではなかったし、自ら一心不乱に望まなかったので
今はただの社会人で仕事にウギギギって歯軋りしながらなんとか趣味の時間作って
絵を描きまくっているだけだけども。
このまま描いてていいんだ、私の自尊心を守るにはこれしかないからね
って思えたことは、個人的には幸せなことだと思ってます。
俺には何にもねぇ…
とは言いたくない。本心では。
(よく思い悩んで呟いたりしてるけど…)
だから、ブログ主さんが、学校授業における不得意分野で、不公平に扱われたことをいつまでも憎むのがちょっと理解できなかった。
私は自分にできないことで他人に迷惑かけまくっていたけど(運動や勉強や音楽、家庭科等々等々…)
それで責められて苛められてもしょうがないと思っていた。
だってできない自分が悪いもん。
でも不得意なんだからもうしょうがないじゃん。
所詮、潜在能力の差には勝てないと思うし、勝とうと思うのが不思議。
その代わり私は図工や絵画の時間を有意義に過ごすことができたし、
その授業でクソミソけなされて、やる気を完全喪失した『違う分野ではできる』生徒達をたくさん見てきた。
彼らも私の運動や勉強や音楽や家庭科に対する態度と一緒。
『別に図工や絵画なんかできなくても生きていけるし』
ホントその通りだ。
運動できなくても勉強できなくても音楽できなくても料理できなくても
ちゃんと仕事して金稼いでる。
そして
絵が描けるからと言って
それで飯が食えるわけでもないし、人生順風満帆じゃない。
平等じゃん?
自分ができなかったことで、できる連中を羨んだり憎んだりするってことは
その分野に少しでも光を見出したかったのかなぁと思う。
絵が描けるからこそ、描けない憎しみってある。
称賛されると思って描いても全く見てもらえなかったとき、凄く悔しい。
自分よりも上手い人が死ぬほどたくさんいるって現実を改めて目の前に突き付けられたとき、全てにやる気をなくす。
私にはこれしかないのに、って。
やっぱり憎しみって愛情がなきゃ生まれるもんじゃないよなぁ…
とか考えつつブログ読んでました。
なんでもかんでも学校教育の所為にしちゃいけないよ。
自分が自分を確立できなかっただけじゃん。って本当はヤジ飛ばしたいんだけどね。
流行りのヤジね。笑
子供は自分の能力以上のことをしないんだって。
もう20年も前に亡くなった祖母が言ってた。
ジャングルジムに上る時、ちゃんと降りれる高さまでしか登らない。
自分ができる事には夢中になるけど、できない亊はすぐ飽きる。
それでいいじゃないかと思う。
社会人として最低限こなせれば、多くの不得意分野を抱えていてよいと思う。
自分の得意分野はきっと自然と見つかるし、
それさえあれば不得意分野はカバーできる。
物理的じゃなくても、精神的に。
自尊心大事だと思いました。
私は『一見不平等感満載』なあの頃の学校教育に感謝しています。
人それぞれ輝く分野が違うということを教えてもらいました。
なんで誰でも一等賞にしちゃうんだよ。
なんでみんなで主人公役やっちゃうんだよ。
今の学校教育に関していつも疑問しか浮かばない。
(学校の先生方が教育委員会と親たちの間に挟まれてそれどころではないことは聞き知っております…(;´_ゝ`))
どんなことでもいいから『自分はここでは一番なんだ!自分だけが一番なんだ!』って思わせてもらえることがどれだけ後々自信につながるか。
たとえそれがまやかしでも、過去の栄光でも、
それでも現実社会を生きる上で確実に糧になってる。
あの頃の『背中をひと押し』は人生の中で一番の影響力を持っているんじゃないかなぁ…
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このグダグダはこれで一旦おしまい。
あとはですね、あのヤジ騒動のことと、仕事の休暇についての愚痴を書きたかったんですけど
うん、また今度です(笑)
取り敢えず長くなったんでこれで。